実績・経験豊富な鹿児島市の歯医者 院長メッセージ

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院長メッセージ

MESSAGE

“元気”“やる気”“勇気”
“心の癒し”を提供できる
歯科医院を目指して

当院の公式ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
鹿児島市の歯医者 えなつ歯科・矯正クリニック院長の江夏です。
私は小さいころ身体が弱く、小児ぜんそく・不整脈持ちで、鼻血が頻繁に出るため、しょっちゅう病院のお世話になっておりました。そのころから、自分をいつもやさしく介抱してくれる看護婦さんや、自分の病気を治してくれるお医者さんに憧れました。
そして小学3年生のときに、自分は将来「医者になって人の役に立てる大人になること」を心に決めました。その後、歯科医師となり、自分の目指す医療、自分の熱き思いの原点に立って開業することになりました。
私の想い、それは患者さまの歯の痛みをとるだけでなく、心の痛みをとることができる歯科医院をつくること、患者さまに“元気”“やる気”“勇気”“心の癒し”を提供できる歯科医院をつくることです。
現在、鹿児島を中心に、熊本、宮崎などからもご来院いただいています。 もし、歯のことでお悩みであれば、えなつ歯科・矯正クリニックまでご連絡ください。あなたの毎日がより快適になるお手伝いをさせていただきます。

院長
江夏 国禎
【最終学歴】
鹿児島大学歯学部歯学科(卒業年度1999年)
【所属学会】
日本臨床歯科補綴学会

HISTORY

これまでの歩み

Episode1
鹿児島で
開業に至るまで

私が歯科医になったのは1999年(30歳)のこと。
1968年に東京で生まれ、18歳まで東京で育ち、高校卒業後インターナショナルな医者になることを目指して単身台湾へ留学。しかし、台湾の大学を中途退学し、4年間の浪人生活を経て1993年(24歳)で国立鹿児島大学歯学部に入学し、1999年に卒業いたしました。

大学卒業後、
新潟県の歯科医院へ入社

卒業と同時に現在の妻と結婚し、日本最大規模の歯科グループで、日本でもっとも厳しいドクター教育システムを持つ新潟の徳真会松村歯科に入社いたしました。その後、たくさんの方々のご指導の結果、駐車場台数50台以上、一日120人ほど来院する松村第二歯科長岡診療所の院長となることができました。
しかし大きな問題が生じました。新潟県は日本で1番雪の多いところで、冬場は1日で40センチくらい積もることもよくありました。水がきれいでお米やお酒、果物がおいしくて、私は新潟がとても好きだったのですが、私にはどうしても合わないものがあったのです。

それが“新潟の冬の空と天気”でした。

私は生まれたときから太平洋側で育ったため、冬は寒くても空は晴れておりました。私は根っからの釣り好きで、冬場にいくら寒くても空が晴れてさえいれば、寒さを気にならない釣りバカでした。ところが新潟は11月から3月のおよそ5ヶ月間天気はほとんど曇りか雨か雪。空はどんより曇っていてほとんど晴れることがありませんでした。
また冬の日本海は荒れていてその時期は釣りがほとんどできなくなってしまい、そのことが非常に苦痛だったのです。

*
*
転機を経て、
新潟から九州へ拠点を移す
そんなある日歯科雑誌を見ていると、なんと偶然にも大好きな九州で歯科医師の募集があるではありませんか!
私は早速電話をかけ問い合わせをしてみると、話はとんとん拍子で決まり、
2001年に熊本市長嶺にあるクレア歯科医院で分院長をすることになったのです。

はじめは数年住んだら、私の実家の東京に帰って開業するか、妻の実家の鹿児島で開業するかを考えておりましたが、住めば都で、気がついてみれば8年にもわたって熊本でお仕事をさせていただくことになっていたのです。
そして第2のふるさと
鹿児島での開業
そして卒業後10年のときを経て私は母校の鹿児島大学があり、私の第2のふるさとでもあり、
九州の中でも一番大好きな鹿児島の地にて開業をさせていただく運びとなったのです。
*
Episode2
なぜ歯科医師に
なったのか?
*
世界で通用する、インターナショナルな医師を目指す
私は今ではがっちりした体格をしておりますが、子供のころは身体が非常に弱くしょっちゅう病院通いをしている子供でした。小児ぜんそくと発作性の不整脈を持っていて、鼻血がすぐ出る子供でした。救急車で運ばれたことも何度もありました。病院でお医者さんや看護婦さんにお世話になるたびに「自分もいつか身体を強くして、自分みたいな身体の弱い人のために役に立つ医者になりたい」そう思うようになっていったのです。
時は過ぎ、高校2年生の春に東京で医者をしている叔父に「国禎お前はこれから先どうしていくつもりだ?」と尋ねられました。私は「僕は日本の国立の医学部を卒業して医者になりたいと思っている」という話をしました。すると叔父は「医者になりたいのであれば、台湾に留学して、台湾の大学を出て、日本の医師国家試験を受けて医者になれば、日本語、英語、中国語、ドイツ語を使いこなすインターナショナルな医者になれるぞ」と言われました。叔父はまさにそのルートをたどって、東京で医者として開業し、成功しておりました。私は単純に「かっこいい!」「僕も叔父みたいなインターナショナルな医者になりたい!」と考えて、台湾に留学する決意を固めました。
*
台湾の大学に合格し、
医師志望の留学生として奮闘
ところが私は生まれてから父が仕事で中国語を使う姿は見てましたが、中国語など習ったこともないし、喋ったこともないし、ちんぷんかんぷんでした。台湾の大学の医学部に進学するためには、中国語で英語、数学、生物、化学、小論文の試験に通らなくてはならないのです。それから中国語を習得するために、週2回中国語教室に通い始め、週3回台湾人の留学生に僕が日本語を教える代わりに、その留学生に中国語を習うようになりました。そして、高校2年生の夏休み40日間と、高校3年生の夏休み40日間の台湾短期留学を経て留学試験に臨みました。試験問題はすべて中国語で出題され、回答は中国語、英語を中国語に訳したり、中国語で小論文を書いたりと、とても難しかったです。
試験の1か月後に合格発表があり、その難しい台湾の大学の留学試験に見事合格することができました。台湾の大学はアメリカと同じく9月スタートなので、その年の9月から私の台湾留学が始まりました。台湾の大学では外国人寮に入ったのですが、消灯時間が夜の10時と早く、中国語での授業についていくために消灯後も真っ暗な部屋で懐中電灯のような乾電池式の照明で、中国語で書かれた教科書と日々格闘しておりました。
*
日本で医者になるため、
鹿児島の大学へ入学
そんな生活が1年続いたある日、当時の日本の厚生省から「現在日本では医師過剰のため、外国の大学の医学部を卒業した人が、日本の医師国家試験を受けた場合、10年間のへき地勤務が義務付けられるようになった。さらに数年後には、国家試験の受験資格もなくなるかもしれない。(今非常に問題になってきている医師不足問題の原因となった医者減らし政策がこれです)」という衝撃的な連絡があったのです。
このまま台湾の大学を卒業しても、将来医者になれることに変わりはないけれど、やはり私は「生まれ育った日本で医者をやりたい」という思いが強かったので、やむなく台湾の大学を中途退学することを決意しました。
それから日本に帰ってきて国公立の医学部・歯学部受験を目指し一から勉強をやり直しました。それまでは自分が何科の医者になるかというのはまだ考えていなかったのですが、いろいろ勉強を重ねていくうちに、個人開業がしやすく、自分の理想とする医療を実現しやすい歯科医師になりたいと思うようになり、4年間の浪人生活を経て、24歳で鹿児島大学の歯学部に入学いたしました。
Episode1
理想を目指して

私に転機がおとずれたのは歯学部の4年生のときでした。
それは予防歯科の特別講義で当時福岡歯科大学予防歯科の助教授だった境先生の講義を受けたときのことでした。
境先生の講義内容は「フッ素の虫歯予防効果」についてでした。

*
病気にならないために
「予防」重視の治療でサポート
今でこそ世間一般でも大分知られるようになったフッ素を使った虫歯予防ですが、当時は歯学部の4年生の私でさえ、フッ素の虫歯予防効果を知らなかったのです。
私自身もそれまでに虫歯になったら歯医者へ行って治療をしてもらったことはありましたけれど、どこの歯科医院に行ってもフッ素を使って虫歯にならないようにする方法なんて教えてもらったことは一度もなかったのです。当時私を担当してくれた歯科医師たちはフッ素を使った虫歯予防の方法を知らなかったのか、それとも虫歯が減ったら自分たちの仕事が減って困ると思って、あえて虫歯予防を推進しなかったのかはわかりませんが、幼児期からフッ素でうがいをしたり、定期的にフッ素塗布をしたりすることによって虫歯を劇的に減らすことができる、というのは私にとっては衝撃的な事実でした。

境先生の講義を受けた後、私は「自分は将来患者さまが病気になるのを待っているのではなく、患者さまが病気にならないように積極的に“予防”をしていく歯科医師になりたい。そしていつの日か必ず予防的歯科医療ができる歯科医院を作りたい」そう決意いたしました。
大学卒業、
そして積み重ねの日々
1999年私は歯科医師国家試験に合格し、歯科医師として活動を始めました。それから10年間、特に「虫歯の予防」「歯周病の予防」「不正歯列の予防【歯並びが悪くならないように予防すること】」「欠損予防【歯が今以上になくならないように予防すること】」と徐々に範囲を広げて、様々な方面の勉強と症例研究を重ねてきました。
*
東洋医学の観点から考える、「心」への配慮
私の理想とする歯科医療の一つは、「私は私の歯科医師人生をかけて、私とご縁があった患者さまのお口や歯にトラブルが起きたり、病気になることがないように全力で“予防”できる歯科医院を作りたい」ということです。_
また私は台湾に留学しているとき東洋医学を勉強させていただきました。みなさんは「気」というものの存在をご存知ですよね。東洋医学では「気」をとても大事にします。
病は「気」からといいますが、臨床にたずさわっていると、病気の人にかかった人はほぼ100%気が病になっていることを感じます。みなさんも身近に無意識のうちに“気”を感じていらっしゃいます。たとえば威勢がよく元気のよい魚屋さんで買った魚は何か新鮮に感じたり、行列ができるラーメン屋さんのラーメンは何かおいしく感じたりしませんか?人間はみな良い「気」、悪い「気」を肌で感じ取る能力をもっております。
歯科医院に来院される患者さまは、身体に痛みがあるだけでなく、心に悩みがあったり、不安があったり、恐怖感があったりします。たいていの歯科医院では歯が痛いといえば、歯を治療します。それは当たり前のことではありますが、私はそれだけでは不十分であると考えているのです。
*
痛みやストレスに配慮した
「丁寧な治療」を提供
たしかに歯を治せば身体の痛みは治るかもしれません。しかし、歯を治しただけでは決して心は元気になりません。歯科治療に対する恐怖感や不安は決して解消されることはないのです。
私の理想とする歯科医療の2つ目の姿は「患者さまへ最高の医療技術を提供するだけでなく、心の痛みを治し、何か元気を与えることができるような歯科医院を作ること」なのです。そして、3つ目が「常に患者さまに痛みやストレスを与えない治療をする」ということです。みなさん歯の治療って「痛い」イメージを持っておられる方がほとんどだと思います。これは昔の歯科医諸先輩方がみなさんに植え付けた一種のトラウマです。
実際は歯の治療をする時に麻酔を上手に使えば、患者さまは痛みを感じることはありません。さらにいうと、麻酔をする時に、表面麻酔という塗るタイプの麻酔やシリジェトというジェット噴射型の表面麻酔器を上手に使い、そこに人肌にあたためた麻酔液をゆっくり丁寧に注入していきさえすれば(ちょっとしたコツと技術が要りますが…)、患者さまはまったく痛みを感じることはないのです。 歯石取りだって、痛くない機械で上手に取れば気持ちいいくらいだし、深い歯石は同様に麻酔を上手に使って行えば痛みを感じることはないはずなのです。
でも、皆さんが今までに受けた歯科の治療って痛かったですよね?何でだと思います?それは担当した歯科医師に“患者さまの痛みに対する意識”が不足していたか、“無痛治療を行う知識や技術”が不足していたか、急いでいて、または面倒くさがって無痛麻酔をやらなかったかのどれかなんですよ。
歯科医師同士で競い、切磋琢磨し、より良い歯科医療を提供し続ける
昔は歯科医師の数も歯科医院の数も少なかったため、歯科医院には患者さまがあふれかえっておりました。歯科医師が多少手荒な治療をしたとしても患者さまには選択の余地がなかったため、そこで治療をするしかなかったのです。
しかし、いまや歯科医師の数も増え、歯科医院の数もコンビニエンスストアの数より多くなったといわれています。歯科医療業界もようやく淘汰の波にさらされていて、つぶれていく歯科医院も多くなってきました。患者さまが歯科医院を選ぶ時代がやってきたのです。まずいものを提供し感じが悪い食べ物屋さんがつぶれ、おいしくて感じのいい食べ物屋さんが繁盛するのは世間では当たり前のことです。同じように、まずい治療や手荒な治療をしている歯科医院はつぶれ、いい治療、丁寧で痛くない治療をしている歯科医院が生き残る適正な時代がやってきたのです。
私は歯科医療が世間一般のサービス業に近付いてきた今の状況をむしろうれしく思っております。その中で歯科医師同士が競争し合い、切磋琢磨していくことによってより良い歯科医療を患者さまに提供し続ける。これが私の考える理想の姿なのです。

MY DREAM
DENTAL CLINIC

私の夢の歯科医院は以下の通りです

  • 人の役に立ち、人に喜んでもらえる仕事がしたい。

  • 患者さま、パートナーから“あなたに逢えてよかった”と言っていただける歯科医師になりたいし、歯科医院を作りたい。

  • 病気で苦しむ人(肉体的だけでなく精神的にも)に“元気”“やる気”“勇気”“安らぎ”と“安心感”を与えられる歯科医院を作りたいし、そういう歯科医師でありたい。

  • 子供たちに夢を与えることができる歯科医院を作りたいし、そういう歯科医師でありたい。(自分が作った歯科医院でいきいきと働く自分たちの姿やスタッフの姿を見て、子供たちが将来自分達もああなりたいと憧れてくれるような歯科医師になりたい。)

  • 子供からお年寄りまで幅広い患者さまが通院していただけるような歯科医院を作りたい。またその子供たちが大きくなって、その子達自身が親になっていった時にその子供たちの世代も診させていただけるような歯科医院を作りたい。

  • 歯科医師という仕事を自分の生涯の仕事として、自分自身が仕事をしていて楽しく、共に働くスタッフも仕事が楽しい職場を作りたい。

  • ドクターも衛生士も歯科助手も受付も自分たちの仕事に自信と誇りをもって、物心共に豊かに、生涯現役で仕事を全うしたいと思えるような歯科医院を作りたい。

  • 院内治療は常に先進の医療機器を導入し、技術研鑽を惜しまず、常に最高レベルの治療を行う。スタッフはきめの細かいサービス、行き届いた気配りと心配りを実践し、患者さま満足度日本一の歯科医院を作りたい。

  • できる限り歯を削らずに、歯を抜かずに、虫歯の予防から歯周病の予防を実践していきたい。歯並びが悪くなることの予防、歯がなくなることの予防を行い、歯科恐怖症の方でも安心して治療を受けることができる無痛治療を行う歯科医院にしたい。

  • 心からの「愛」にあふれ、なによりも「調和」を大切にし、何事にも「感謝」できる歯科医院づくりをしていきたい。

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